作者の広江礼威は、70年代前半の12月5日生まれ。物心ついた頃からゲームもアニメもマンガも、全て揃っていた世代である。ここではガンアクションマンガ・エンターティナーたる彼の経歴を、いくつか出版されているインタビューから推察してみたいと思う。なお、文体の都合上敬称を略している事を予めお断りしておく。
 先にゲーム・マンガ・アニメという三種の神器を引き合いに出したが、ハイティーンだった頃の広江にとって、とりわけゲームに関する興味は深かったようで、ゲーセン仲間から声を掛けられ、ゲーム会社に入社したのがそのキャリアの出発点となる。
 退社後、ゲームの所謂『アンソロ本』に細々と広江は寄稿していたが、その頃遠く離れた地では天を揺るがし地も裂けようかという大激震が走っており、それが彼の立場にも影響を与える事となった。
 今なお語り継がれる「角川激震・電撃分離騒動」である。
 広井礼威の商業デビュー作である「翡翠峡奇譚」は、このような中連載が開始されたのだが、掲載誌であるコミックコンプはあえなく休刊、物語も94年に単行本2巻が発刊されたものの、未完のままとなっている。
 この後、商業誌を一旦離れた広江は『れっどべあ』(サークル名はTEX-MEX)名義での18禁ジャンル、ぶっちゃけた話エロい同人誌でメキメキと頭角を現してゆく。
 とにかく、『れっどべあ』の同人誌は手を抜かないのである。壁際大手サークルに成長するサークルの同人誌は、いずれも画力がプロにも劣らぬ代物ばかりだが、広江は同人市場の中で着実に地歩を固め、90年代後半には大手人気サークルの仲間入りを果たすまでに至る(事情通談)。
 商業誌での連載復活は角川のコミックドラゴンに連載され、99年に単行本が発売となった「SHOCK UP!」(現在は小学館から新装版が発刊)に始まり、2000年にはワニマガジンのコミックガムに掲載された中編「PHANTOM BALLET」(サンデーGXの別冊付録として再録)へと繋がってゆく。
 その後サンデーGXで「ブラック・ラグーン」の読み切りが掲載され、これが連載に発展してゆくのだが、その前に特筆しておきたいのが、2001年の冬コミで発表された「高機動幻想ガンパレードマーチ」の同人誌である、"The Desparation and Guntlet 熊本城攻防戦"の存在である。後書きで曰く、「12年ぶりにハマった」「商業のスタンスで(同人誌の制作を)やっちゃった」と言わしめたこの作品は、実用性の高い同人誌で名を馳せた、『同人作家れっどべあ』のTEX-MEXにあって、エロのかけらすら存在しないという希有な本である。
 中身はと言えば、バリバリの戦争モノであり、美少女がハラワタぶちまけて真っ二つになる描写まで存在してしまうという代物で、ゲームの同人誌でありながら、正面から真面目に戦争を描こうと試みた意欲作であった。
 開発元であるアルファシステム開発陣との面通しまで行ったと思われるこの作品と、その直後から連載の始まる事になる「ブラック・ラグーン」を通して読んだ時、共通するある基盤がある事に気付く。
 広江はサンデーGXの小冊子に掲載されたインタビューで、『ダーティな情念』という言葉に言及している。「熊本城〜」の戦争描写然り、「PHANTOM BALLET」での主人公の境遇然り、そして「ブラック・ラグーン」での数々の描写。
 誤解を恐れずにハッキリ言うならば、広江礼威というマンガ家は、絵が無茶苦茶上手いうえに、マンガという媒体の上で許されるレベルの臨界まで、とてつもなくダークネスな表現の限界に挑むことが出来るという、2つの才能に恵まれたマンガ家なのだ。
その根底にあるのは、マンガに全てを賭けた青春時代の恵まれぬ日々と、数多の本などから吸収して昇華される『ダーティな情念』であろう。
「ブラック・ラグーン」は、決して読者に媚びない。そこにあるのは綿密に計算された銃撃戦の悦楽と、マンガに魂を委ねたひとりの男の、猛々しい情念である。
(文中敬称略・佐久/大江)










"BLACK LAGOON"(TM)(C)Rei Hiroe/Shogakukan Inc.
JDAR 2004











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